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お正月の風物詩としてすっかり定着した「箱根駅伝」。各大学のチームは、この日のために練習し、選手だけでなく、補欠や裏方の人たちそれぞれにドラマがあったことでしょう。
1964年東京オリンピック、陸上競技で唯一のメダルを獲得したマラソンの円谷幸吉さんは中央大学経済学部(夜間部)の学生でしたが、自衛隊体育学校にも在籍していたので二重登録ということで箱根駅伝には出場できませんでした。
円谷さんは東京五輪で銅メダルを獲得した4年後、メキシコ五輪の1968年の年明け早々、1月9日に自らの命を絶ってしまいます。故障で思うように走れない苦悩、メキシコ大会への重圧などと共に、結婚寸前までいったのが破談になったことも理由としてあげられています。沢木耕太郎さんも「長距離ランナーの遺書」(文春文庫「敗れざる者たち」所収)に書いています。福島で知り合い、円谷さんが東京の自衛隊体育学校に移ったあとも文通を続けていた女性との結婚について話が出たのですが、自衛隊体育学校の校長から「結婚すると記録が伸びない」と反対されてしまったといいます。何でも、当時は「娶妻願」というものを提出して上官の許可を得なければならなかったといいますから、まさに旧軍隊の習慣が残っていたのです。まして、東京五輪で一躍、英雄になりメキシコでも結果を期待されていたのですから、この理不尽な「反対」に従い、追いつめられてしまったのです。
残されていた遺書に「…父上様、母上様。三日とろろ美味しゅうございました。」に始まり、兄弟などに向けて、干柿、おもち、お寿司、ブドウ酒、南蛮漬け、しそ御飯……とひとつひとつあげながら「美味しゅうございました」と感謝を並べているのがよく知られています。「三日とろろ」とは、主に東北地方の習慣でお正月3日にとろろを食べるというものです。福島出身の円谷さんはきっと毎年、お母さんが作ってくれた三日とろろを食べていたのでしょう。そんなささやかな幸福に感謝し、亡くなった円谷さんの気持ちは如何ばかりだったか……。
たしか、川端康成さんがこの遺書に対して、ありきたりの言葉が実に純粋ないのちを感じさせ、美しく、まことで、かなしい響きだ」というように言っていたと思います。昨年公開され、見事キネマ旬報第1位に輝いた(僕にとっても昨年のベスト1です!)『この世界の片隅に』(2016 片渕須直監督)がやはり、食事(戦時下だから貧しいものだが)などごく当たり前の暮らしを丁寧に描写することで、その「日常の愛おしさ」が観る者の胸に浸みこんでくるのです。
このお正月は僕も母の住む家に出掛け、お雑煮を作ってもらいました。子供の頃から食べてきた味。きっと、僕が死ぬときまでずっと、この味の記憶は残り続けるのだろうと思います。   (ジャッピー!編集長