箱根駅伝の悲劇
新春早々、その沿道はもとよりお茶の間も賑わすのが箱根駅伝です。さらに年々華々しくなってきています。
青山学院大の3連覇、駅女の熱狂などなど。
明るい話にいきなり水をさすようですが、隠れた悲しい話もありました。
かつての覇者名門中央大学の予選落ちとかのような話ではありません。
昭和20年代後半の出来事です。一選手の死です。競技中のことではありません。
専修大学のある選手が駅伝目前に控えた練習中に交通事故で非業の死をとげてしまっていたのです。
その事実を何年か前に箱根山中国道1号線を歩いているときにたまたま”発見”しました。
小涌谷方面に向かう強羅口の手前あたりの蛇骨川にさしかかるあたりのたしか谷側だったかに小さな祠のような
碑がありました。卓越した草草に覆われていた感じでした。
刻まれていた文字を注視してみました。内容は正確には覚えていませんが・・・「昭和2X年、専修大学陸上部
のX年生〇〇君が箱根駅伝のための練習中に当所あたりで不幸にもトラック事故に遭遇し・・」というような事が
書かれていました。
今だったら、かなりのニュースになっていたかもしれません。
この当時も多少は報道されていたでしょうけど、おそらくその媒体は新聞ぐらいでしょう。
練習中のこととはいえ戦後の歴史のなかに完全に埋没し、またその慰霊碑も草葉の陰です。
このことを毎年正月駅伝時に思い出していました。
そんな矢先、今年、今回は競技中に神奈川大学の選手が車にあわや当てられそうになりました。
交通整理ミスと報道されていました。精神論になりますが、選手と同様ぐらいに気をひきしてめて
運営サイドも手綱そして襷をぐっと締めてほしいところです。
(ハピイ氏橋)