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「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)の脚本を書いた笠原和夫さんが、当初、深作さんの監督起用に難色を示した原因は、その8年前に遡ります。笠原さんが脚本を書いた「顔役」(1965 石井輝男監督)という作品をはじめは深作さんが監督することになっていたのですが、深作さんがイチャモンをつけたので、笠原さんが「前半、後半に分けて二人で書き直そう」と提案、旅館にこもったのですが、当時中原早苗さんと恋愛中(のちに結婚)だった深作さんは夜になると旅館を抜け出し、脚本書きをサボっていたそうです。笠原さんは激怒、監督は石井輝男さんに交代ということがあったのです。
笠原和夫さんはシナリオを書くために徹底取材することで知られていて、「仁義なき戦い」も企画段階から日下部五朗プロデューサーとともに、原作の元になった手記を書いた美能幸三さん(文太さんが扮した広能昌三のモデル)に会いに行ったり、綿密な取材を行っています。その取材ぶりは「仁義なき戦い 調査・取材録集成」(太田出版)という本でうかがえます。その微細にわたる取材記録の緻密さには頭がクラクラするほどであります! そんな苦労をして執筆した「仁義なき戦い」シリーズ(笠原さんは第4作まで)ですから、深作さんが笠原さんに「1字1句も脚本を変えない」と約束し、監督に決定したのも当然です。
笠原さん入魂のシナリオだけあって、名セリフがてんこ盛りです。人生の色々な局面で指針になるようなものが多いです。私事ですが、僕は昨年3月でそれまで31年間も勤めていた職場を辞めたのです。辞めたい、辞めたいと思っていましたが、31年も勤めていたのでさすがにずいぶんと思い悩みました。まさに、第1作の坂井(松方弘樹さん)の「夜中に飲んでるとつくづく極道がいやになって足を洗うちゃるかと思うんだが……朝になるとコローっと忘れちょる」みたいな感じでグズグズとふんぎりがつかなかったのです。
ノートの真ん中に線を引いて、片側にメリット、反対側にデメリットを書き出したりして考えました。そして退職願を出すリミットの時期が来て、僕の心の中で三上真一郎さんが「ここらでやらんと二度と舞台は回ってこんど」と囁いたのです。まさに「仁義なき戦い」が僕の背中を押しました。
後日談。僕が新文芸坐のチラシ解説を時折一緒に書いているCさんに、こんな感じで職場を辞めたことを知らせたら、「“一度、後手喰うたら死ぬまで先手は取れんのじゃけん”という台詞もありましたね」と、さすがは相棒、打てば響く返信が来たのでした。「仁義なき戦い」は珠玉のアフォリズムの宝庫です!
今日は菅原文太さんの命日。「仁義なき戦い」の数々の名セリフを反芻して三回忌を追悼しましょう。
(ジャッピー!編集長)